▼2011年08月21日
物欲二品
誕生日、ということで家族にiPad2を買ってもらいました。
iPhoneとMacBookがあるので別にいらないか・・と思っていたのですが、ふつふつと欲しくなり物欲に負けてしまいました。
でもけっこうこれが論文の整理に役立つんですよ。
紙媒体のほうがまだまだ好きですが、思っていたより論文が読める。
最近は電子データで論文もすぐに手に入りますから、pdfファイルのまま「Good Reader」というアプリで管理して、空き時間などにパッと出すことができます。(他にも「Papers」など論文管理専用のアプリがあるようですが)。英和辞書も一緒に入れておけば、分からない単語に出くわしても、簡単に調べられます。
紙媒体で読むよりも頭に入るかと言われれば、分かりませんが・・
あと、もうひとつ。
前から欲しかった「CHEMEX」というコーヒーメーカーも、最近手に入れました。
このコーヒーメーカーは、1941年にアメリカの化学者、Peter J. Schlumbohmが発明したもので、ガラス、木、革紐を組み合わせた、シンプルかつ機能的な、非常に美しいプロダクトなのです。MoMA(ニューヨーク近代美術館)のパーマネント・コレクションにも選ばれています。
ちょっと時間に余裕があるときに、専用のフィルターを折って使っていますが、たしかにコーヒーを淹れている最中の「画」が美しい・・。そしてそのせいか淹れたコーヒーもおいしく感じる・・。
洗うのが少し大変ですけどね。
iPhoneとMacBookがあるので別にいらないか・・と思っていたのですが、ふつふつと欲しくなり物欲に負けてしまいました。
でもけっこうこれが論文の整理に役立つんですよ。
紙媒体のほうがまだまだ好きですが、思っていたより論文が読める。
最近は電子データで論文もすぐに手に入りますから、pdfファイルのまま「Good Reader」というアプリで管理して、空き時間などにパッと出すことができます。(他にも「Papers」など論文管理専用のアプリがあるようですが)。英和辞書も一緒に入れておけば、分からない単語に出くわしても、簡単に調べられます。
紙媒体で読むよりも頭に入るかと言われれば、分かりませんが・・
あと、もうひとつ。
前から欲しかった「CHEMEX」というコーヒーメーカーも、最近手に入れました。
このコーヒーメーカーは、1941年にアメリカの化学者、Peter J. Schlumbohmが発明したもので、ガラス、木、革紐を組み合わせた、シンプルかつ機能的な、非常に美しいプロダクトなのです。MoMA(ニューヨーク近代美術館)のパーマネント・コレクションにも選ばれています。
ちょっと時間に余裕があるときに、専用のフィルターを折って使っていますが、たしかにコーヒーを淹れている最中の「画」が美しい・・。そしてそのせいか淹れたコーヒーもおいしく感じる・・。
洗うのが少し大変ですけどね。
タグ :日々の生活
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00:12
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▼2011年08月06日
仙台・松島・石巻
先週末、妻と日帰りで宮城に行った。
3.11の経験は、これから何十年にもわたって、ぼくらが抱えていかなければならないものである。だから、お邪魔かもしれない・・と思いながらも、とにかく現場をこの目で見て、自分たちのなかに取り込んでおかなくてはいけないと思ったのである。
仙台でレンタカーを借り、松島から石巻まで沿岸部を走った。
あれから4ヶ月以上たち、仙台沿岸部の被災地は夏を迎えて、一面緑の草が生えていた。しかしそのなかに、船やつぶれた車がたくさん残っている。がれき撤去をおこなうトラックが何台も通り過ぎる。
松島は急ピッチで復旧をすすめたのだろう、一見無傷のように見えるくらい、観光客がたくさん訪れていたが、島の形は変わってしまったらしい。
石巻には、まだ大変な光景がひろがっていた。
しかしそのなかでも、なんとか生活を立て直していこうとする人たちの力強い息づかいは、現場に立つとひしひしと感じられた。泥だらけのシャツを着たボランティアの外国人たちもいた。
まだうまく感じたことをまとめられないが、この経験をそのままひとつの基点としてゆきたいと思っている。
3.11の経験は、これから何十年にもわたって、ぼくらが抱えていかなければならないものである。だから、お邪魔かもしれない・・と思いながらも、とにかく現場をこの目で見て、自分たちのなかに取り込んでおかなくてはいけないと思ったのである。
仙台でレンタカーを借り、松島から石巻まで沿岸部を走った。
あれから4ヶ月以上たち、仙台沿岸部の被災地は夏を迎えて、一面緑の草が生えていた。しかしそのなかに、船やつぶれた車がたくさん残っている。がれき撤去をおこなうトラックが何台も通り過ぎる。
松島は急ピッチで復旧をすすめたのだろう、一見無傷のように見えるくらい、観光客がたくさん訪れていたが、島の形は変わってしまったらしい。
石巻には、まだ大変な光景がひろがっていた。
しかしそのなかでも、なんとか生活を立て直していこうとする人たちの力強い息づかいは、現場に立つとひしひしと感じられた。泥だらけのシャツを着たボランティアの外国人たちもいた。
まだうまく感じたことをまとめられないが、この経験をそのままひとつの基点としてゆきたいと思っている。
タグ :日々の生活
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21:16
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▼2011年07月16日
イッセー尾形の時間
毎年夏になると、イッセー尾形の舞台が観たくなる。
毎年妻と観に行って、今年で4年目。二人ともすっかりはまってしまった。
常連のお客さんが多いようで、去年の舞台を観ていなければ分からないようなところでも、大勢がドッと笑ったりする。
市井の、どこにでもいそうな人を次々に演じてゆくそのひとり芝居は、人間というものをしっかりとつかまえていて、見終わった後は良い小説を読んだような気持ちになる。
舞台芸術や映画、小説でいつも思うのは、「すぐれた表現者は時間を表現できる」ということである。
イッセー尾形は、それがうまい。
たとえば、「二十年パン屋をやっているおじさん」を演じなければいけないときに、たった三ヶ月の稽古で、その二十年が表現できるかどうか。
二十年連れ添った夫婦のあいだに流れる空気を、三ヶ月の稽古でつくりだすことができるかどうか。
そのあたりに、名優と大根の差があるような気がする。
舞台の大道具や小道具も同じである。「人が二十年住み続けた家」のセットをあたらしく作るときには、「汚し」の技術が要る。自然な「汚れ」をわざと作るのは案外難しいものである。
毎年妻と観に行って、今年で4年目。二人ともすっかりはまってしまった。
常連のお客さんが多いようで、去年の舞台を観ていなければ分からないようなところでも、大勢がドッと笑ったりする。
市井の、どこにでもいそうな人を次々に演じてゆくそのひとり芝居は、人間というものをしっかりとつかまえていて、見終わった後は良い小説を読んだような気持ちになる。
舞台芸術や映画、小説でいつも思うのは、「すぐれた表現者は時間を表現できる」ということである。
イッセー尾形は、それがうまい。
たとえば、「二十年パン屋をやっているおじさん」を演じなければいけないときに、たった三ヶ月の稽古で、その二十年が表現できるかどうか。
二十年連れ添った夫婦のあいだに流れる空気を、三ヶ月の稽古でつくりだすことができるかどうか。
そのあたりに、名優と大根の差があるような気がする。
舞台の大道具や小道具も同じである。「人が二十年住み続けた家」のセットをあたらしく作るときには、「汚し」の技術が要る。自然な「汚れ」をわざと作るのは案外難しいものである。
タグ :考えたこと
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12:52
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▼2011年06月21日
まつということ
師匠と「不安」について話していて、むかしの日本で「不安」は、どう呼ばれていたのだろうという話になった。
調べてみると、不安に対応する日本の古語は複数あるようだ。
「こころもとなし」「うしろめたし」「おぼつかなし」
このうち「おぼつかなし」は、長く会えない相手を心配して不安になる感情をあらわす言葉であるが、そこから転じて「会いたい」「待ち遠しい」と切に願う気持ちもあらわすようになったらしい。
不安を英語で言うとanxietyだが、anxietyにも切望という意味が含まれている。
つまり、いつの時代、どこの国でも、不安と期待は表裏一体なのだ。
* * *
相手のことを想いながら、心配しながら、待ちわびる。
「何かを待つ」という営みは、それだけで絵になるというか、どこか物語性をはらんでいる。
日本の和歌や古典文学には待つシーンがたくさん出てくるし、映画でも、雨宿りしながら誰かを待っているシーンが妙に印象に残ったりする。
極めつけは、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」という戯曲である。これはただ二人の男が一本の木の下で、ゴドーという人を待つだけの話。何のために待っているのか、ゴドーが何者なのかもよく分からない。結局ゴドーは現れない。けれどそれが演劇の傑作になってしまう。
* * *
「待つ」というのは、おそらく生物にとって高等な部類の機能である。動物はなかなか待てない。
けれど現代に生きるぼくらも、待つということをしなくなっているのではないか。
もう少し、待つこと自体を楽しめるような、気持ちの余裕をもちたいものだと思う。「待つ」ことで豊かになるものも、きっとたくさんあるはずなのである。
調べてみると、不安に対応する日本の古語は複数あるようだ。
「こころもとなし」「うしろめたし」「おぼつかなし」
このうち「おぼつかなし」は、長く会えない相手を心配して不安になる感情をあらわす言葉であるが、そこから転じて「会いたい」「待ち遠しい」と切に願う気持ちもあらわすようになったらしい。
不安を英語で言うとanxietyだが、anxietyにも切望という意味が含まれている。
つまり、いつの時代、どこの国でも、不安と期待は表裏一体なのだ。
* * *
相手のことを想いながら、心配しながら、待ちわびる。
「何かを待つ」という営みは、それだけで絵になるというか、どこか物語性をはらんでいる。
日本の和歌や古典文学には待つシーンがたくさん出てくるし、映画でも、雨宿りしながら誰かを待っているシーンが妙に印象に残ったりする。
極めつけは、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」という戯曲である。これはただ二人の男が一本の木の下で、ゴドーという人を待つだけの話。何のために待っているのか、ゴドーが何者なのかもよく分からない。結局ゴドーは現れない。けれどそれが演劇の傑作になってしまう。
* * *
「待つ」というのは、おそらく生物にとって高等な部類の機能である。動物はなかなか待てない。
けれど現代に生きるぼくらも、待つということをしなくなっているのではないか。
もう少し、待つこと自体を楽しめるような、気持ちの余裕をもちたいものだと思う。「待つ」ことで豊かになるものも、きっとたくさんあるはずなのである。
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19:50
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▼2011年06月08日
観念奔逸5題
ツバメの姿を見ると、うれしくなる。
人は概して、この鳥にやさしい。
新緑のうつくしい季節に飛来するからだろうか、それとも、巣作りと子育てのようすを惜しげもなくぼくらに見せてくれるからだろうか。軒下につくられた巣の下にはフンがたくさん落ちるが、人々は新聞紙を敷いて、「見守ってあげてください」と張り紙を貼ったりする。
燕尾服や臙脂色など、生活のなかにもツバメの名が入り込む。
あげくの果てに、中華料理では巣が高級食材になる。ツバメは自分の唾液を固めて巣をつくるから、この食材はじつは唾液が固まったものらしい。
* * *
この季節は、カエルも鳴き始める。
地方育ちのぼくは、カエルとセミの声を聞くと、一気に幼少時の気分がよみがえる。
* * *
今日は久しぶりに、東京タワーに灯がともった。
電力に余裕があるからだろうか。
それにしても、東京タワーのてっぺんは、地震のときに少しだけひん曲がってしまい、今でも曲がったままになっている。近くから見るとよく分かる。
* * *
ぼくの勤めている病院で、内村祐之という精神医学の偉い先生が書いた「精神医学の基本問題」という本を、月に一回読む勉強会がはじまった。師匠の先生がいろいろ解説してくれるので、とても勉強になる。先月はカールバウムの章であったが、業績を知れば知るほど、カールバウムがいかに偉大だったかが分かる。精神医学の疾患概念は、まったく150年前から進歩していない・・
ちなみに内村祐之は、あの内村鑑三の息子であり、野球の有名投手でもあった。東大の教授、松沢病院院長の他、プロ野球コミッショナーも務めているすごい人である。
* * *
バートランド・ラッセルの「哲学入門」という本を読んでいる。
人間の精神には、サイエンスではどうしても追いつかない部分がある。
そこを考えるためには、どうしても哲学が入り込んでくる。先人たちがどのような方法論で考えてきたのか、それを知ることはめちゃくちゃおもしろい。
人は概して、この鳥にやさしい。
新緑のうつくしい季節に飛来するからだろうか、それとも、巣作りと子育てのようすを惜しげもなくぼくらに見せてくれるからだろうか。軒下につくられた巣の下にはフンがたくさん落ちるが、人々は新聞紙を敷いて、「見守ってあげてください」と張り紙を貼ったりする。
燕尾服や臙脂色など、生活のなかにもツバメの名が入り込む。
あげくの果てに、中華料理では巣が高級食材になる。ツバメは自分の唾液を固めて巣をつくるから、この食材はじつは唾液が固まったものらしい。
* * *
この季節は、カエルも鳴き始める。
地方育ちのぼくは、カエルとセミの声を聞くと、一気に幼少時の気分がよみがえる。
* * *
今日は久しぶりに、東京タワーに灯がともった。
電力に余裕があるからだろうか。
それにしても、東京タワーのてっぺんは、地震のときに少しだけひん曲がってしまい、今でも曲がったままになっている。近くから見るとよく分かる。
* * *
ぼくの勤めている病院で、内村祐之という精神医学の偉い先生が書いた「精神医学の基本問題」という本を、月に一回読む勉強会がはじまった。師匠の先生がいろいろ解説してくれるので、とても勉強になる。先月はカールバウムの章であったが、業績を知れば知るほど、カールバウムがいかに偉大だったかが分かる。精神医学の疾患概念は、まったく150年前から進歩していない・・
ちなみに内村祐之は、あの内村鑑三の息子であり、野球の有名投手でもあった。東大の教授、松沢病院院長の他、プロ野球コミッショナーも務めているすごい人である。
* * *
バートランド・ラッセルの「哲学入門」という本を読んでいる。
人間の精神には、サイエンスではどうしても追いつかない部分がある。
そこを考えるためには、どうしても哲学が入り込んでくる。先人たちがどのような方法論で考えてきたのか、それを知ることはめちゃくちゃおもしろい。
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20:46
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▼2011年05月28日
池澤夏樹のことば
いわゆる「知識人」と呼ばれる人たちが、今回の災害に対して、コメントを出しはじめている。
その多くは(出版社の援助もあるのだろうか)実際に被災地に入ってみて、書かれたものである。
そういう文章のなかで、いちばんぼくの心にしみたのは、池澤夏樹のものだった。
読売新聞に載った文章が、氏のブログに再掲されている。ことばの力を感じさせる文章である。
ぼくはこの作家が好きで、講演にも2,3回行ったことがある。3月の下旬にも紀伊國屋書店でトークショウが予定されていて、チケットを押さえていたのに地震で中止になってしまった。
iPodを使っている人は、地震のことについて語る池澤夏樹のトークを聞くこともできる。「ラジオ版学問ノススメ」というPodcastの5月16日号。(ちなみにこのPodcastは毎週いろんな文化人が、蒲田健というかなり渋い声の司会者相手にいろいろ話をするラジオ番組で、通勤途中に聞くには適度に知的刺激もあって面白い。この人はこんな声で、こんな喋り方するんだ、というのが新鮮だったりする)
また、池澤夏樹がひとりで編んだ河出書房新社の「世界文学全集」が、最近完結した。この全集は今までの古めかしい「文学全集」ではなく、20世紀後半に書かれたあたらしい作品で構成されていて、今の「世界」を考えるための格好のテキストになっている。
このなかの短編コレクションは、ひとつひとつが手頃な長さなので、「なにか面白い小説ないかな」と探している人には是非お勧めしたい。いわゆる文学の主流であったイギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどの作品だけではなく、イスラム圏やアフリカ、沖縄、在日韓国人の作家など、「辺縁」からも作品を拾い上げ、その声に耳を傾けることができる内容になっている。
そして池澤夏樹が、今お勧めする本として1冊挙げているのが、中井久夫先生の「災害がほんとうに襲った時」である。毎日新聞に掲載された書評がとてもいい。
中井先生は阪神大震災のときに神戸大学精神科の教授だった人であるが、神戸の震災後に出版された文章を編み直して今回、みすず書房より緊急出版されたのがこの本である。4月に出版されてもう第2刷だから、かなり売れているようだ。
今、被災地でこころのケアにあたる人たちの指針となりうる文章だということで、ジャーナリストの最相葉月が中井先生の許可を得て、一部を無料公開している。
その多くは(出版社の援助もあるのだろうか)実際に被災地に入ってみて、書かれたものである。
そういう文章のなかで、いちばんぼくの心にしみたのは、池澤夏樹のものだった。
読売新聞に載った文章が、氏のブログに再掲されている。ことばの力を感じさせる文章である。
ぼくはこの作家が好きで、講演にも2,3回行ったことがある。3月の下旬にも紀伊國屋書店でトークショウが予定されていて、チケットを押さえていたのに地震で中止になってしまった。
iPodを使っている人は、地震のことについて語る池澤夏樹のトークを聞くこともできる。「ラジオ版学問ノススメ」というPodcastの5月16日号。(ちなみにこのPodcastは毎週いろんな文化人が、蒲田健というかなり渋い声の司会者相手にいろいろ話をするラジオ番組で、通勤途中に聞くには適度に知的刺激もあって面白い。この人はこんな声で、こんな喋り方するんだ、というのが新鮮だったりする)
また、池澤夏樹がひとりで編んだ河出書房新社の「世界文学全集」が、最近完結した。この全集は今までの古めかしい「文学全集」ではなく、20世紀後半に書かれたあたらしい作品で構成されていて、今の「世界」を考えるための格好のテキストになっている。
このなかの短編コレクションは、ひとつひとつが手頃な長さなので、「なにか面白い小説ないかな」と探している人には是非お勧めしたい。いわゆる文学の主流であったイギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどの作品だけではなく、イスラム圏やアフリカ、沖縄、在日韓国人の作家など、「辺縁」からも作品を拾い上げ、その声に耳を傾けることができる内容になっている。
そして池澤夏樹が、今お勧めする本として1冊挙げているのが、中井久夫先生の「災害がほんとうに襲った時」である。毎日新聞に掲載された書評がとてもいい。
中井先生は阪神大震災のときに神戸大学精神科の教授だった人であるが、神戸の震災後に出版された文章を編み直して今回、みすず書房より緊急出版されたのがこの本である。4月に出版されてもう第2刷だから、かなり売れているようだ。
今、被災地でこころのケアにあたる人たちの指針となりうる文章だということで、ジャーナリストの最相葉月が中井先生の許可を得て、一部を無料公開している。
タグ :言葉
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19:04
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▼2011年05月16日
電話帳の消滅
NTTから、タウンページとハローページが自宅に届きました。
と、これがびっくりするくらい薄いんですねぇ・・
ぺらぺらです。
電話帳というと少し前は分厚い本の代名詞みたいなものでしたが、時代は変わりましたね。個人情報保護の風潮やインターネットの普及の影響でしょう。
たぶんもう少しで消滅するんじゃないかなあ。
若干さみしい気もします。
と、これがびっくりするくらい薄いんですねぇ・・
ぺらぺらです。
電話帳というと少し前は分厚い本の代名詞みたいなものでしたが、時代は変わりましたね。個人情報保護の風潮やインターネットの普及の影響でしょう。
たぶんもう少しで消滅するんじゃないかなあ。
若干さみしい気もします。
タグ :日々の生活
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21:30
▼2011年05月08日
ほんとうの沖縄
この連休、二泊三日で妻と沖縄に行った。
例年より早く梅雨入りしてしまった沖縄はあいにくの天気だったが、レンタカーを借りて、北部から南部までいろいろまわることができた。
なかでも楽しみにしていたのが、読谷山焼という焼物(やちむん)をつくっている窯元を訪れることである。
備前や九谷、萩、砥部など、日本中の窯をたずねて気に入った器を買うことは、ぼくにとって国内旅行の大きな楽しみのひとつなのである。
今回もコーヒーカップと皿を数枚購入。
どんどんこういう食器が増えてしまい収納しきれなくなってきているが、休日においしいコーヒーをサイフォンでゆっくり淹れて、こういうカップで飲む時間は最高の贅沢である。




二泊三日で触れることができる沖縄は、もちろん「本土」向けに商品化された部分でしかない。
しかし街のいたるところで「ほんとうの沖縄」の片鱗がちらと見えたような気がして、それが気になってしかたなかった。
ここはほんとうは、どういうところなのだろうか。
今は47都道府県のひとつでしかないが、たった百数十年前までは琉球王国という別の国だったのである。
17世紀に薩摩が侵攻してきてから、「ヤマト」や「アメリカ」に翻弄され続けてきた「ウチナーンチュ」たちは、今ぼくらのことをどういうふうに見つめているのだろうか・・と、やさしい地元の人に会うたびに考えてしまった。
問題は、ぜんぶ現在進行形である。
大江健三郎は「沖縄ノート」を書き、池澤夏樹は沖縄に十年住んで「カデナ」という小説を最近書いている。
ぼくもささやかながら、勉強して注視しつづけたいと思う。
例年より早く梅雨入りしてしまった沖縄はあいにくの天気だったが、レンタカーを借りて、北部から南部までいろいろまわることができた。
なかでも楽しみにしていたのが、読谷山焼という焼物(やちむん)をつくっている窯元を訪れることである。
備前や九谷、萩、砥部など、日本中の窯をたずねて気に入った器を買うことは、ぼくにとって国内旅行の大きな楽しみのひとつなのである。
今回もコーヒーカップと皿を数枚購入。
どんどんこういう食器が増えてしまい収納しきれなくなってきているが、休日においしいコーヒーをサイフォンでゆっくり淹れて、こういうカップで飲む時間は最高の贅沢である。




二泊三日で触れることができる沖縄は、もちろん「本土」向けに商品化された部分でしかない。
しかし街のいたるところで「ほんとうの沖縄」の片鱗がちらと見えたような気がして、それが気になってしかたなかった。
ここはほんとうは、どういうところなのだろうか。
今は47都道府県のひとつでしかないが、たった百数十年前までは琉球王国という別の国だったのである。
17世紀に薩摩が侵攻してきてから、「ヤマト」や「アメリカ」に翻弄され続けてきた「ウチナーンチュ」たちは、今ぼくらのことをどういうふうに見つめているのだろうか・・と、やさしい地元の人に会うたびに考えてしまった。
問題は、ぜんぶ現在進行形である。
大江健三郎は「沖縄ノート」を書き、池澤夏樹は沖縄に十年住んで「カデナ」という小説を最近書いている。
ぼくもささやかながら、勉強して注視しつづけたいと思う。
▼2011年05月01日
精神科の看護師さん
18のときに山形から出てきて、精神科の看護師になって、あちこちの病院をまわって、この病院にはもう昭和50年くらいからずーっといます、という女性に会った。
今年で65歳。もうこの秋で仕事は終わりですと言う。
長年、精神科の看護師をしてきた人のなかには、強烈な人間的魅力を放つ人がいる。
この人もそうだった。
この魅力を、何と表現すればいいだろう。
今から40年前というと、精神科医療がまだ今のような医療のかたちを為していないような時代である。
そんなときから試行錯誤して患者とつきあい、大変な思いをしながらも、最後まで引き受けた強靱さ。
そしてそんななかでも、人間に対するやさしさを持ちつづけたという歴史。
いろいろ愚痴はこぼすけれど、最後の最後は人をゆるす、ふところの深さ。
うまく言えないけれど、それら全部が全身からにじみ出ているような感じだった。
こういう無名の人たちが、地方の精神科医療をしっかりと支え続けているのだと思う。
今年で65歳。もうこの秋で仕事は終わりですと言う。
長年、精神科の看護師をしてきた人のなかには、強烈な人間的魅力を放つ人がいる。
この人もそうだった。
この魅力を、何と表現すればいいだろう。
今から40年前というと、精神科医療がまだ今のような医療のかたちを為していないような時代である。
そんなときから試行錯誤して患者とつきあい、大変な思いをしながらも、最後まで引き受けた強靱さ。
そしてそんななかでも、人間に対するやさしさを持ちつづけたという歴史。
いろいろ愚痴はこぼすけれど、最後の最後は人をゆるす、ふところの深さ。
うまく言えないけれど、それら全部が全身からにじみ出ているような感じだった。
こういう無名の人たちが、地方の精神科医療をしっかりと支え続けているのだと思う。
タグ :精神医学
Posted by ytmd at
01:43
▼2011年04月16日
英会話スクールの陥穽
以前、少しだけ英会話スクールに行ったことがあります。
スクールと言っても、カフェとかで講師と会って、そこで一時間ほど話をするという簡易なやつです。だからきちんとした教材はなく、フリートーク中心で、たまに講師が用意してくれたプリントとかを見ながら勉強するというものでした。
講師はニュージーランド人の男性で気さくないい人でしたが、一年も続かなかったなぁ・・
どうしてでしょうか。
外国語会話の練習全般に言えると思いますが、会話以前に「明朗快活なキャラクター」が求められているような気がして、それが疲れてくるんですよね。笑
つまり、朝は犬の散歩をして、週末はテニスして、流行の映画を観るような生活をしているとスムーズに講師と喋ることができるんですが、ぼくみたいに精神科医をやって、家で静かに昔の本を読んでいるのが好き、というような人間は、なかなか基礎英語で講師と会話を発展させることができない。いきおい、あまり興味のないサッカーの話なんかをしなければいけなくなって、しんどくなる・・という残念なパターンに陥るわけです。(単にコミュニケーション能力が低いだけか?)
まあ、それなら英会話のスクールに出ずに、英語の本や論文をがりがり読むほうが、自分のためになるのかもしれませんが、こんどの病院は外国の人も来ることがあるようなので、必要なフレーズは勉強しなければなぁ・・とも思っています。
さらに精神病理学を勉強してゆくとなると、ドイツ語なども読む必要が出てくるので、これは困ったことになったぞという感じです。
語学というものは「目的」ではなく、あくまでも「手段」なので、必要に迫られないとなかなか習得できないのかもしれませんね。
スクールと言っても、カフェとかで講師と会って、そこで一時間ほど話をするという簡易なやつです。だからきちんとした教材はなく、フリートーク中心で、たまに講師が用意してくれたプリントとかを見ながら勉強するというものでした。
講師はニュージーランド人の男性で気さくないい人でしたが、一年も続かなかったなぁ・・
どうしてでしょうか。
外国語会話の練習全般に言えると思いますが、会話以前に「明朗快活なキャラクター」が求められているような気がして、それが疲れてくるんですよね。笑
つまり、朝は犬の散歩をして、週末はテニスして、流行の映画を観るような生活をしているとスムーズに講師と喋ることができるんですが、ぼくみたいに精神科医をやって、家で静かに昔の本を読んでいるのが好き、というような人間は、なかなか基礎英語で講師と会話を発展させることができない。いきおい、あまり興味のないサッカーの話なんかをしなければいけなくなって、しんどくなる・・という残念なパターンに陥るわけです。(単にコミュニケーション能力が低いだけか?)
まあ、それなら英会話のスクールに出ずに、英語の本や論文をがりがり読むほうが、自分のためになるのかもしれませんが、こんどの病院は外国の人も来ることがあるようなので、必要なフレーズは勉強しなければなぁ・・とも思っています。
さらに精神病理学を勉強してゆくとなると、ドイツ語なども読む必要が出てくるので、これは困ったことになったぞという感じです。
語学というものは「目的」ではなく、あくまでも「手段」なので、必要に迫られないとなかなか習得できないのかもしれませんね。
タグ :日々の生活
Posted by ytmd at
17:47
▼2011年04月10日
マジック・バー
妻の誕生日祝いということで、和食を食べたあと、丸の内のマジック・バーにはじめて行ってきました。
マジック・バーですから、つまりマジシャンがいて、手品を見せてくれる店ですね。
いやあ・・とにかくすごかった。
あらかじめ誕生日ということを伝えていたら、まず火の中からいきなりシャンパンボトルが出てくる手品をしてくれて、もうそのあとは圧倒されっぱなしでした。ステージのマジック・ショーに加えて、各テーブルにマジシャンが来てくれて、次々に手品を見せてくれます。
トランプやコインを使った手品、フォーク曲げ、などですが、間近で見てもまったくタネが分からない。驚きの連続で、あんぐりしてしまいました。
手品というのはタネを詮索するよりも、単純にびっくりする体験を楽しむのがいいですね。そしてびっくりしたあとは、なんとなく無条件に幸せな気分になる。ぼくも小学校のころはミスター・マリックになりたいと思って(笑)、いくつか手品の道具を買ったことがあるくらいだったので、妻のお祝いそっちのけで自分が興奮してしまいました。
ホスピタリティーを感じる素敵な店でした。「十時」というお店です。
マジック・バーですから、つまりマジシャンがいて、手品を見せてくれる店ですね。
いやあ・・とにかくすごかった。
あらかじめ誕生日ということを伝えていたら、まず火の中からいきなりシャンパンボトルが出てくる手品をしてくれて、もうそのあとは圧倒されっぱなしでした。ステージのマジック・ショーに加えて、各テーブルにマジシャンが来てくれて、次々に手品を見せてくれます。
トランプやコインを使った手品、フォーク曲げ、などですが、間近で見てもまったくタネが分からない。驚きの連続で、あんぐりしてしまいました。
手品というのはタネを詮索するよりも、単純にびっくりする体験を楽しむのがいいですね。そしてびっくりしたあとは、なんとなく無条件に幸せな気分になる。ぼくも小学校のころはミスター・マリックになりたいと思って(笑)、いくつか手品の道具を買ったことがあるくらいだったので、妻のお祝いそっちのけで自分が興奮してしまいました。
ホスピタリティーを感じる素敵な店でした。「十時」というお店です。
タグ :日々の生活
Posted by ytmd at
23:37
▼2011年04月02日
▼2011年03月26日
ネオンなしのほうがいいです
東京の街は一見無傷なので、無理矢理いつもと同じ生活を送ろうとしていますが、なかなか自分のペースが戻らないですね。
つまらないことから言うと、まず成分無調整の牛乳が全然手に入らない(カフェオレが作れません)。
そしてこれも些末なことかもしれませんが、今週は軒並み都内の美術館が休館でした。
「美術館に行かないと死んでしまう病」の私としてはつらいものがありましたが、そんななか、渋谷Bunkamuraの「オランダ・フランドル絵画展」がかろうじてやっていることを知り、酸欠状態で急いで行ってきました。
フェルメールの絵画が一点と、レンブラントを含む17世紀のオランダ絵画。
たぶんふだんなら、もっと混雑するはずの内容でしたが、びっくりするくらいがらがらでした。フェルメール「地理学者」の前もぱらぱらと人が立っているだけで、そのぶんじっくりと絵を観ることはできましたが・・
オランダには宮廷がなかったので、日々の生活をモチーフにした民衆色の強い絵が多く、ぼくはひそかにオランダ絵画を好んでおります。久しぶりの息抜きになりました。
美術館を出ると夜でしたが、渋谷の街も節電中で、過剰なネオンや、モニター類が消えていました。
いつもに比べてずいぶん暗かったですが、しかしこれくらいの照度でちょうどいいですね。
これはもう電気に対する考えががらっと変わるな、と思いました(電子書籍とか、どうなるのだろう)。
それから今回の災害で、公の視点というか、publicなものの重要性が、急にぼくらの眼の前に現れたような印象ももっています。
つまり、水や放射能や電気のことで東京の人たちも否応なく「当事者」になっていて、そのぶん、政治とかインフラストラクチャーとか、ふだんはあんまりその存在を意識していない「公」の重要性を痛感せざるをえないのです。
しかし、みなが「公の視点」に目覚めた、ということはよいことだと思います。最近メディアでよく見る「この災害は日本がさらに強くなるチャンス」という言説の理由は、このあたりにあるのではないでしょうか。
三月も終わりに近づき、また異動の季節です。
うちの病院はすでに医療チームを岩手に送っており、来月以降も第二班、第三班と続きます。
精神科医の需要も増えてきており、ぼくも駆けつけたいのですが、四月から勤務先が変わるため、今の病院からは行けません。
次の病院でも派遣があれば、是非行きたいと思っています。
つまらないことから言うと、まず成分無調整の牛乳が全然手に入らない(カフェオレが作れません)。
そしてこれも些末なことかもしれませんが、今週は軒並み都内の美術館が休館でした。
「美術館に行かないと死んでしまう病」の私としてはつらいものがありましたが、そんななか、渋谷Bunkamuraの「オランダ・フランドル絵画展」がかろうじてやっていることを知り、酸欠状態で急いで行ってきました。
フェルメールの絵画が一点と、レンブラントを含む17世紀のオランダ絵画。
たぶんふだんなら、もっと混雑するはずの内容でしたが、びっくりするくらいがらがらでした。フェルメール「地理学者」の前もぱらぱらと人が立っているだけで、そのぶんじっくりと絵を観ることはできましたが・・
オランダには宮廷がなかったので、日々の生活をモチーフにした民衆色の強い絵が多く、ぼくはひそかにオランダ絵画を好んでおります。久しぶりの息抜きになりました。
美術館を出ると夜でしたが、渋谷の街も節電中で、過剰なネオンや、モニター類が消えていました。
いつもに比べてずいぶん暗かったですが、しかしこれくらいの照度でちょうどいいですね。
これはもう電気に対する考えががらっと変わるな、と思いました(電子書籍とか、どうなるのだろう)。
それから今回の災害で、公の視点というか、publicなものの重要性が、急にぼくらの眼の前に現れたような印象ももっています。
つまり、水や放射能や電気のことで東京の人たちも否応なく「当事者」になっていて、そのぶん、政治とかインフラストラクチャーとか、ふだんはあんまりその存在を意識していない「公」の重要性を痛感せざるをえないのです。
しかし、みなが「公の視点」に目覚めた、ということはよいことだと思います。最近メディアでよく見る「この災害は日本がさらに強くなるチャンス」という言説の理由は、このあたりにあるのではないでしょうか。
三月も終わりに近づき、また異動の季節です。
うちの病院はすでに医療チームを岩手に送っており、来月以降も第二班、第三班と続きます。
精神科医の需要も増えてきており、ぼくも駆けつけたいのですが、四月から勤務先が変わるため、今の病院からは行けません。
次の病院でも派遣があれば、是非行きたいと思っています。
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07:05
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▼2011年03月18日
この一週間
この一週間、全然本が読めていない。
圧倒的な現実に応接しなければいけないからだろうか、そんな気にならないのである。
街のいたるところに、非常時の雰囲気がただよっている。
とくに電車の運行が不確定で、本数が減り、不安になった大衆がどっと押し寄せるから、尋常じゃない混みようである。
毎日の職場と自宅の往復だけで、余計な緊張を強いられる。
さすがに少し疲れが出はじめたが、この状況に不満を言っている人はまだ見ていない。
病院も、計画停電に大きな影響を受けている。
あらかじめ通達されている停電時間に、実際に電気が止まるかどうかは直前にならないと分からないのだが、病院では万が一に備えて、その時間帯だけ自家発電に切り替えている。
自家発電だから、使える電気量に限りがあり、明かりはほとんど消え、パソコンも半分以上スイッチを切る。
外来では、電球ひとつの薄暗い診察室で、ひさしぶりに手書きカルテを書いた。
交通機関が麻痺しているから来院できない患者も大勢いた。
一方で、薬がなくなったら大変だからと何とか都合をつけて来る患者もいた。
そんな診察室で、来月からぼくは病院を移るから今回が最後の診察になる、と伝えなければいけなかったのがつらいところであった。
まだまだ状況がどうなるのか見通しはつかないが、今回のことは、ぼくらにとって非常に大きな体験となるだろう。
しかし長い目で見れば、この経験が日本の再生、飛躍につながるような気もするのである。
家の窓から、建設中の東京スカイツリーが見える。
奇しくも戦後の東京タワーのように、スカイツリーが復興のシンボルになってゆくのだろうか。
圧倒的な現実に応接しなければいけないからだろうか、そんな気にならないのである。
街のいたるところに、非常時の雰囲気がただよっている。
とくに電車の運行が不確定で、本数が減り、不安になった大衆がどっと押し寄せるから、尋常じゃない混みようである。
毎日の職場と自宅の往復だけで、余計な緊張を強いられる。
さすがに少し疲れが出はじめたが、この状況に不満を言っている人はまだ見ていない。
病院も、計画停電に大きな影響を受けている。
あらかじめ通達されている停電時間に、実際に電気が止まるかどうかは直前にならないと分からないのだが、病院では万が一に備えて、その時間帯だけ自家発電に切り替えている。
自家発電だから、使える電気量に限りがあり、明かりはほとんど消え、パソコンも半分以上スイッチを切る。
外来では、電球ひとつの薄暗い診察室で、ひさしぶりに手書きカルテを書いた。
交通機関が麻痺しているから来院できない患者も大勢いた。
一方で、薬がなくなったら大変だからと何とか都合をつけて来る患者もいた。
そんな診察室で、来月からぼくは病院を移るから今回が最後の診察になる、と伝えなければいけなかったのがつらいところであった。
まだまだ状況がどうなるのか見通しはつかないが、今回のことは、ぼくらにとって非常に大きな体験となるだろう。
しかし長い目で見れば、この経験が日本の再生、飛躍につながるような気もするのである。
家の窓から、建設中の東京スカイツリーが見える。
奇しくも戦後の東京タワーのように、スカイツリーが復興のシンボルになってゆくのだろうか。
タグ :日々の生活
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10:09
▼2011年03月13日
3月11日のこと
病院の廊下を歩いていたら、秘書さんたちがこわいこわいと騒いでいたので、虫でもいるのかと思ったら、自分の体が大きく揺れているのを感じた。
すぐに地震を告げる館内放送が響き、エレベーターが緊急停止した。
しかしマニュアルがしっかりと定められていたようで、病院内は大きな混乱はなかったようだった。
病棟の患者もびっくりしていたが、安全であることを告げてまわり、ホールで一緒にテレビを観た。
仕事が終わってから、妻の無事は確認できたけれど、家のことが心配だったので、電車がまったく動かない状況の中、歩いて帰宅した。
しばらく歩いたあと、運よく通りすがったタクシーを呼び止めて乗り込んだが、運転手のおばちゃんは疲れ果てていて、少し休憩させてくださいと缶コーヒーを飲んだ。
聞けば、おもな道路はすっかり渋滞で、地震直後から客が途切れないのだという。
結局、少し走ると渋滞に巻き込まれ、まったく動かなくなったので、そこで運転手に礼を言ってタクシーを降りた。
大勢の人が線路沿いの道を歩いていた。みな少しだけ気分が高揚していて、元気に喋りながら歩いている人たちもいた。
JRはだめだったが、まず私鉄が動きはじめた。
しかも京王線は無料で走らせていて、あたたかい気持ちになった。
徒歩、タクシー、電車、バスを乗り継いで帰ったら、結局5時間かかっていた。
神戸で臨床をしているときに、災害後の精神医学について、ベテランの先生からいろいろ教わった。
精神医学が必要とされるのは、もう少しあとである。
今、ここにいてできることは、節電することと、まとまった額の寄付金を準備することくらいだろうか。
妻も機転をきかせて、非常用の食料などを買ってきてくれた。
自分にできることを考えて、粛々とまっとうしたいと思う。
明日は外来と当直だが、輪番停電でどうなるのか・・
なんとか乗り切りたい。
すぐに地震を告げる館内放送が響き、エレベーターが緊急停止した。
しかしマニュアルがしっかりと定められていたようで、病院内は大きな混乱はなかったようだった。
病棟の患者もびっくりしていたが、安全であることを告げてまわり、ホールで一緒にテレビを観た。
仕事が終わってから、妻の無事は確認できたけれど、家のことが心配だったので、電車がまったく動かない状況の中、歩いて帰宅した。
しばらく歩いたあと、運よく通りすがったタクシーを呼び止めて乗り込んだが、運転手のおばちゃんは疲れ果てていて、少し休憩させてくださいと缶コーヒーを飲んだ。
聞けば、おもな道路はすっかり渋滞で、地震直後から客が途切れないのだという。
結局、少し走ると渋滞に巻き込まれ、まったく動かなくなったので、そこで運転手に礼を言ってタクシーを降りた。
大勢の人が線路沿いの道を歩いていた。みな少しだけ気分が高揚していて、元気に喋りながら歩いている人たちもいた。
JRはだめだったが、まず私鉄が動きはじめた。
しかも京王線は無料で走らせていて、あたたかい気持ちになった。
徒歩、タクシー、電車、バスを乗り継いで帰ったら、結局5時間かかっていた。
神戸で臨床をしているときに、災害後の精神医学について、ベテランの先生からいろいろ教わった。
精神医学が必要とされるのは、もう少しあとである。
今、ここにいてできることは、節電することと、まとまった額の寄付金を準備することくらいだろうか。
妻も機転をきかせて、非常用の食料などを買ってきてくれた。
自分にできることを考えて、粛々とまっとうしたいと思う。
明日は外来と当直だが、輪番停電でどうなるのか・・
なんとか乗り切りたい。
タグ :日々の生活
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22:05
▼2011年03月08日
無題(早春のある日の素描)
ぼくらは癌を告知した
お弁当屋のおばちゃんと
やさしそうな旦那さんに
おばちゃんたちに子どもはいない
柴犬を一匹飼っている
そして旦那さんにだけ おばちゃんはもう
一年ももたないだろうということを
ぼくらは告げたのだった
おばちゃんも旦那さんも 気丈にふるまった
ぼくもいつも通りの調子で挨拶した
ぼくは春から 職場を変わり
これからはじまるあたらしいことについて
あれこれ考えをめぐらせていて
でも おばちゃんは
たぶん来年の春を迎えることができない
桃の花も 新緑も 梅雨のうっとうしい長雨も
ゴージャスな積乱雲も めちゃくちゃに合唱する蝉の声も
もう今年で見納めだ
おばちゃんと旦那さんの姿をみて
身が引き締まる思いだった
この季節になると思い出す
研修医の頃のはなし
お弁当屋のおばちゃんと
やさしそうな旦那さんに
おばちゃんたちに子どもはいない
柴犬を一匹飼っている
そして旦那さんにだけ おばちゃんはもう
一年ももたないだろうということを
ぼくらは告げたのだった
おばちゃんも旦那さんも 気丈にふるまった
ぼくもいつも通りの調子で挨拶した
ぼくは春から 職場を変わり
これからはじまるあたらしいことについて
あれこれ考えをめぐらせていて
でも おばちゃんは
たぶん来年の春を迎えることができない
桃の花も 新緑も 梅雨のうっとうしい長雨も
ゴージャスな積乱雲も めちゃくちゃに合唱する蝉の声も
もう今年で見納めだ
おばちゃんと旦那さんの姿をみて
身が引き締まる思いだった
この季節になると思い出す
研修医の頃のはなし
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19:39
▼2011年03月06日
なにかを遠くに飛ばすこと
車を運転していると、前を走っている車からポンとタバコの吸い殻が放り投げられることがよくあります。
「ポイ捨て禁止」の看板はあちこちに立っていますが、この「ポイ捨て」というやつは、絶対になくならないんだろうなと思います。
なぜならそこには、ある種の気持ちよさが潜んでいるからです。
しばらく口でもてあそんだタバコと一緒に、自分のマイナスの感情もそこに乗せて放り出すことができる。カタルシスの効果があるような気がします。(社会に対するささやかな意趣返しをしている気持ちよさもあるのかもしれませんが)
「ポイ捨て」はだめですが、なにかを遠くに飛ばすことは、気持ちいいものです。
川に石を投げること。紙ひこうき。豪快なホームランに人々が魅せられるのもそうだし、節分の豆まきもそうかもしれません。
人はなにかそこに、少しだけ自分の気持ちも乗せて飛ばしているのです。
「ポイ捨て禁止」の看板はあちこちに立っていますが、この「ポイ捨て」というやつは、絶対になくならないんだろうなと思います。
なぜならそこには、ある種の気持ちよさが潜んでいるからです。
しばらく口でもてあそんだタバコと一緒に、自分のマイナスの感情もそこに乗せて放り出すことができる。カタルシスの効果があるような気がします。(社会に対するささやかな意趣返しをしている気持ちよさもあるのかもしれませんが)
「ポイ捨て」はだめですが、なにかを遠くに飛ばすことは、気持ちいいものです。
川に石を投げること。紙ひこうき。豪快なホームランに人々が魅せられるのもそうだし、節分の豆まきもそうかもしれません。
人はなにかそこに、少しだけ自分の気持ちも乗せて飛ばしているのです。
タグ :考えたこと
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00:39
▼2011年02月26日
税の世界
妻と二人暮らしをはじめてから、そろそろ一年です。
だんだんお互いの得意なところや苦手なところが見えてきて、家事の分担などもなんとなく決まり、少しずつ生活に安定感が出てきました。
そしてそのせいなのか、お金のことをきちんと考えないといけないなあ、と思いはじめています。
今までは源泉徴収やら、ナントカ控除やら、社会保険やら、よくわからないまま税金を払い、ノーガード戦法でやってきましたが、ちょっとこれではまずいんじゃないか、と。
それで最近は、税金のしくみを簡単に説明した本を読んだりしているのですが、この税のシステムというのが、けっこうよくできているんですね(感心している場合ではないのですが・・)。
「税のシステムこそが、その国家の理念や哲学をあらわす」と言われることもあるらしい。
奥の深い世界です。
だんだんお互いの得意なところや苦手なところが見えてきて、家事の分担などもなんとなく決まり、少しずつ生活に安定感が出てきました。
そしてそのせいなのか、お金のことをきちんと考えないといけないなあ、と思いはじめています。
今までは源泉徴収やら、ナントカ控除やら、社会保険やら、よくわからないまま税金を払い、ノーガード戦法でやってきましたが、ちょっとこれではまずいんじゃないか、と。
それで最近は、税金のしくみを簡単に説明した本を読んだりしているのですが、この税のシステムというのが、けっこうよくできているんですね(感心している場合ではないのですが・・)。
「税のシステムこそが、その国家の理念や哲学をあらわす」と言われることもあるらしい。
奥の深い世界です。
タグ :日々の生活
Posted by ytmd at
16:32
▼2011年02月20日
人間と杉の相性
いよいよ花粉症の季節が到来、ということで、毎年鼻水に悩まされている僕は、すでに抗アレルギー薬の予防内服をはじめています。
しかし前から不思議だったのですが、ここまで多くの人が一律に杉の花粉にアレルギー反応を示す、というのはどういうことなんでしょうね。
アレルギー反応を起こすということは、こいつは異物だと体が反応しているわけで、なにかそこには、人間が杉の花粉を敵対視する深い深い隠された理由があるんじゃないか(たとえば人間と杉が神話の時代から相性が悪かったとか)と、いろいろ想像していました。
しかし調べてみると、神話的な理由ではなくて、どうやら国が戦後に杉を大量に植林したことが原因のようですね。
戦後に大量に植えられた杉たちが成長し、1960年代から花粉を大量に飛ばすようになった。
そして、大量の花粉に曝露された人たちがアレルギー反応を起こすようになった、というストーリー。
杉は便利な建材だから植林したんだろうけど、こんな副作用が出てくるなんて、当時は誰も予想できなかったんだろうなあ・・
とにかくなんとか、アレグラ内服でこの春を乗り切りたいものです。
しかし前から不思議だったのですが、ここまで多くの人が一律に杉の花粉にアレルギー反応を示す、というのはどういうことなんでしょうね。
アレルギー反応を起こすということは、こいつは異物だと体が反応しているわけで、なにかそこには、人間が杉の花粉を敵対視する深い深い隠された理由があるんじゃないか(たとえば人間と杉が神話の時代から相性が悪かったとか)と、いろいろ想像していました。
しかし調べてみると、神話的な理由ではなくて、どうやら国が戦後に杉を大量に植林したことが原因のようですね。
戦後に大量に植えられた杉たちが成長し、1960年代から花粉を大量に飛ばすようになった。
そして、大量の花粉に曝露された人たちがアレルギー反応を起こすようになった、というストーリー。
杉は便利な建材だから植林したんだろうけど、こんな副作用が出てくるなんて、当時は誰も予想できなかったんだろうなあ・・
とにかくなんとか、アレグラ内服でこの春を乗り切りたいものです。
タグ :日々の生活
Posted by ytmd at
23:00
▼2011年02月13日
無表情なキャラクター
ハローキティの顔には口がない。
ミッフィーの口は「×」である。
それゆえ表情がなく、何を考えているのかわからない。
逆に言えば、何でも考えてそうにも見える。
そしてそれが、人気の秘訣なんだろうな、と思うのです。
私が楽しいときは、一緒に楽しんでいてくれるように見え、
私が悲しいときは、一緒に悲しんでいてくれるように見える。
いつもそばにいてくれるような気がする。
だから長年にわたり、人々に愛される。
人気が出るキャラクターというのは、無表情なことが多いような気がします。
最近でいうと、「ひこにゃん」もそうだし、ローカルなところで言えば岡山放送の「OH!くん」もそうですよね。
無表情だから、こちらの気持ちを投影できる。
これが大事なのです。
文楽(人形浄瑠璃)でつかわれる人形も、無表情なのに光の当て方や動かし方で、びっくりするほど豊かな情感を表現します。
能面だってそうです。それがまた役者の腕のみせどころなのでしょう。
「無」や「余白」に何かを感じる。
「無」や「余白」に何かを語らせる。
小津安二郎の映画もそうですが、そういうところに日本文化の特徴がある気がします。
ミッフィーの口は「×」である。
それゆえ表情がなく、何を考えているのかわからない。
逆に言えば、何でも考えてそうにも見える。
そしてそれが、人気の秘訣なんだろうな、と思うのです。
私が楽しいときは、一緒に楽しんでいてくれるように見え、
私が悲しいときは、一緒に悲しんでいてくれるように見える。
いつもそばにいてくれるような気がする。
だから長年にわたり、人々に愛される。
人気が出るキャラクターというのは、無表情なことが多いような気がします。
最近でいうと、「ひこにゃん」もそうだし、ローカルなところで言えば岡山放送の「OH!くん」もそうですよね。
無表情だから、こちらの気持ちを投影できる。
これが大事なのです。
文楽(人形浄瑠璃)でつかわれる人形も、無表情なのに光の当て方や動かし方で、びっくりするほど豊かな情感を表現します。
能面だってそうです。それがまた役者の腕のみせどころなのでしょう。
「無」や「余白」に何かを感じる。
「無」や「余白」に何かを語らせる。
小津安二郎の映画もそうですが、そういうところに日本文化の特徴がある気がします。
タグ :考えたこと
Posted by ytmd at
15:38



